使命と背景

使命と背景

本学教育の歩みによせて
Expressing our feelings through the path of the university

北都健勝学園  理事長(2002.12~現在)
的場    巳知子
Michiko MATOBA, M.D.
Chairman

大学は,誰から何を学ぶかがとても大事な場所であります.切磋琢磨しながら学ぶ学友も,無くてはならない存在であります.そしてその背景にあるそれぞれの大学の思想が,とても重要になります.

本学は,小林勝というたった一人の鬼才の,教育への情熱から生まれました.県内の高等学校の一教員であった小林は,1962年 新潟高等工学院を創設しました.その後,気の遠くなるような努力の末に,1968年には北都工業短期大学を開学し,自動車工業科を設置しました.

小林は終生運転免許を取得せず,自動車とは縁のない人間でありましたが,先見の明ともいうべき時代の先を読む力が優れておりました.その才能は,20代高校教員として働いていた頃すでに,無謀にも大学設置を計画した事からも伺えます.

当時の主流は,自動車産業を主軸として動いていましたので,それを支える人材の育成は,必要不可欠な要素でありました.そして同時に,医師になりたかった夢の一端として,1967年 3 月 学校法人新潟技術学園を設立し,10年の歳月を要し1977年 4 月 新潟薬科大学の開学を成し遂げました.それはその後の医療分野の発展を明確に捉え,先んじて動く能力に従った必然でもありました.

しかし,資産家でも財閥でもない一青年が大学を創るという事は,常に資金を調達する苦労に苛まれ,理不尽にも学園を不名誉なかたちで追われる事となりました.それでもその情熱は溢れ出て止まらず,1982年新潟医療秘書専門学院を開校し,医療秘書学科を設置しました.1987年には,新潟福祉医療専門学校に改名して医療秘書学科,福祉養護学科,薬事学科を設置しています.1988年には仏教大学と提携して,社会福祉学科を新たに設置しました.

小林の優れた能力のひとつとして,連携という構想を早くから築きあげた事であり,後に川崎医療短期大学,人間総合科学大学や中国の上海中医薬大学と提携しています.医療秘書と同時に取り組みを開始したのは,リハビリテーション分野への学問の広がりです.新潟県内でいち早く村上市に開校した時には,福祉関連の学校を売却して資金に充て,将来の大学化を視野に入れて 4 年制の高度専門士を取得できる学校としました.それが現在の本学の前身である,新潟リハビリテーション専門学校となります.1995年開校時には,理学療法,作業療法,言語療法の 3 学科でありましたが,2000年 4 月 鍼灸療法学科を設置しました.その後,2007年 4 月 新潟リハビリテーション大学院大学リハビリテーション研究科,そして2012年 新潟リハビリテーション大学へとつながってまいりました.

すでに小林は他界していますが,1960年代当初から AIR FRANCE との親交を深め,ヨーロッパへの留学支援を行い,中国語の教育導入や,ケンブリッジ大学からのネイティブ英語教員招聘などといった国際化を積極的に推し進めておりました.このような小林の国際的なセンスは,当時の新潟県においては極めて異質でありました.それまで国が主導するような特権的な事柄を,一個人が当たり前のこととして教育に取り入れるという先駆者でしたが,国際化がすすんだ現代では,その当時のインパクトを理解することは難しいでしょう.

このような流れに導かれた本学の教育が,これから国際的な飛躍をさらに考える際の根底には,戦争のない社会の実現があります.その為の知識と教養はもちろんのこと,人を救う医療という分野への特化した教育につながっております.小林は,兄弟を病や戦争で亡くしています.そのような経験と複雑な思いが,晩年の国際医療教育へと駆り立てられる原動力になりました.学問には国境なし.「人の心の杖であれ」とは,こうした歴史を背景にした理念でございます.

また,小林の夢を体現化できたのは,その周囲に多くの天才的な協力者に恵まれ,それが正しくこの国の今後を憂う時に導かれた事も事実でございます.小林の壮年期を終始支えてくださいました小野塚隆二元理事.リハビリテーション大学の基礎には,故初瀬純男元理事,小林の長男である勝一郎元理事や現大学サポート協会会長の西坂寛元理事の不屈の力.故布施栄明初代校長,石橋政雄現評議員,海藤是夫現評議員,浦壁英紀現評議員の深き教養と導き.事務方では,天才的能力を発揮した故小田奈美枝専務理事,大滝かおり理事,近貴司理事が.教職におかれては,山村千絵学長,伊林克彦教授,松林義人先生,櫻井晶先生…書ききれず申し訳なく存じますが,多くの才能に恵まれることによって,あの日奇跡の大学認可の電話を受ける事ができたのでした.

あの日あの瞬間の事務室での光景を,終生忘れることはないでしょう.その報は同じく祈ってくださった多くの地域の方々にもすぐにお伝えし,長い苦難の路を涙とともに歴史の足跡に代えさせていただきました.村上市の地域の支えには今も感謝を忘れてはおりません.

長く拙いお話を失礼いたしましたが,このようにして,今日の学園は成り立って参りました.  現在は山村学長と浅海学部長が中心となって,新しい学問の場を切り拓いている最中でございます.その事は,学長の優れた文章をお読み頂ければ,ご理解頂けると存じます.

唯一無二の,世界でたったひとつの大学で学ぶ幸せを感じながら,私自身精進ができますことを,皆様に深く感謝,御礼申し上げます.