vol.2 浦壁英紀先生

北都健勝学園の良心

昭和35年3月新潟大学数学科を卒業後、同4月から村上市立村上中学校教諭として教育人生をスタートされ、その後半世紀を超え多くの学生・職員を育てられた実績のある浦壁先生。令和4年3月末をもって、その教育人生にけじめをつけられることとなりましたが、本学にとって、また新潟県にとってかけがえのない教育者で在られます。その足跡を、ご自身の記念誌とともにご紹介いたします。

昭和12年5月29日美空ひばりと同日に生を受けられたこの年1937年は、加山雄三氏・緒形拳氏も同年であり昭和の一時代を担う勢いのある時世でありました。1937年は日中戦争が始まり、翌年には教育界でも戦時下の体制に切り替わっていくこととなります。1941年尋常小学校は国民学校と改められ、それは戦後1947年教育基本法と学校教育法が制定されるまで昏迷が続きました。以降は現在まで続く、6・3・3制の新学制となります。浦壁先生が教職に就かれた昭和35年/1960年は安保闘争が盛んとなり、1968年~1970年頃にかけての学生運動激化へと繋がってゆく転換期でありました。そうした時を経て、教育界での「学問の自由」が、今日まで実践されてきております。

そのような時代の中、浦壁先生は津南高等学校/長岡工業高等学校/新潟北高等学校の校長職を歴任されました。
県職退職後の平成11年4月より、北都健勝学園余暇教育研究センター(新潟分室)副センター長にご就任いただき、本学との縁が始まり、今日もご指導を頂いております。

平成12年4月~新潟リハビリテーション専門学校 副校長
平成17年4月~新潟看護専門学校(現新潟看護医療専門学校)校長代理
平成22年4月~新潟看護医療専門学校学校長補佐
令和4年3月~北都健勝学園相談役

令和4年3月まで、毎年の卒業式・入学式での開式・閉式の辞での、あの凛とした一声なくして、会は成り立ちませんでした。どの入学生・卒業生も耳にしたあの声を聞けなくなるのはとてもさみしいものです。また新潟看護医療専門学校の記念誌・北都健勝学園の記念誌作成にもご尽力を頂き、今後HPにて順次閲覧できるように準備しております。そちらでも、先生の歩まれた本学での教育史を垣間見ていただけましたら幸いです。

末尾となりましたが、先生のご多幸を祈念し、また今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

北都健勝学園 教職員一同

私の教育観~お礼と感謝にかえて~

北都健勝学園旧職員 浦壁 英紀

新潟県の教育職を60歳で定年退職し、その後ご縁があり令和4年3月までの23年間、本学園にお世話になりました。
この間、二代にわたる理事長先生のご指導の下、村上と新潟に於いていろんなことを経験させていただき、充実した日々を送ることが出来ました。今では懐かしさで一杯です。両理事長先生を始め、学園の皆様に心から感謝を申し上げます。
ところで、教育観を書くようにとのことですが、60余年若者の教育に携わってきた記録を小冊子にまとめましたので、それと重複する部分もありますが、私の教育に対する考え方のようなものを述べてみたいと思います。

教育の原点は人間愛である

人は誰しもある目的をもって学び、教育を受けている。すなわち、マズロー心理学の「自己実現の欲求」をもって学んでいる訳で、それに応えるのが教育であると考える。したがって、人間の欲求に沿った教え方が大切であり、私の経験からもマズローのいう「所属と愛の欲求」や「承認の欲求」を踏まえた教え方が是非とも必要であると考える。
例えば、相手の人格を傷つけるような言動は絶対にあってはならないし、叱るよりも褒めて、やる気を起こさせるような指導に心掛けなければならない。
すなわち、人間愛の精神が教育のベースになければならないと信じている。

2. その他、心掛けたいこと

(1)教育とは、文字どおり教え育てること
○ 教える面

もちろん、知識や技術を教えるのであるが教科書やテキストに書いてあることをそのまま忠実に教えるのではなく、関連事項や背景等も織り交ぜて教えることにより、教わる側の受け止め方はだいぶ異なるであろう。即ち、教科書を教えるのではなく、教科書で教えるのである。
その為には、教える側も事前の準備が大変である。

〇 育てる面

その授業を通し、やる気や意欲、向上心や公徳心、物事の善悪、日常の躾等を教え、教わる側を人間的に育てるのである。
これらは、頭でわかっていても実行が伴わなければ意味がないので、繰り返し教える必要があり、教える側の愛情と忍耐が必要である。

注)教育の二面性という場合、次のような使われ方が多い:
現状に合わせる考え方と現状を改善しなければという考え方である。
例えば、よく話題になるのが、学校の校則の「服装や頭髪の指導」で、校則通り守られていないので、現状に合わせ規則を緩めようという考えと、反対に校則が守られるように現状を改善しきちんと指導しようという考え。
また、教科の指導でも、さっぱり生徒が理解してくれないので、指導する時間は少なくてよいという考え方と、理解してくれなければなお更多くの時間をかけて指導すべきだという考え方がある。

~これらのいずれが良いかは、一概には言えないであろう~

(2)専門職であることの自覚

教師像は時代と共に変化してきた。太平洋戦争の戦前・戦中は「聖職」、戦後は「労働者」そして現在は「専門職」である。専門職とは“ 高い専門性と職業倫理に裏付けられた特別の専門的職業” だと言われている。
だとすれば、教師は自分の専門を大切に考え、常に研鑽をする必要がある。そして、自分の授業を通して生徒たちに感動を与えるようにしてほしいものである。

(3)経験は、その人にとって最高の師である

ロシアの文豪ゴーリキーは小説「私の大学」の中で、人生という大学から得たものは“経験” である旨を書いているが、実際に自分で経験した経験ほど貴重なものはない。
最近は、コロナ禍で教育現場でも各種行事が今まで通り行えず、中止になったり規模が縮小されて人の交流が少なくなっている。したがって、自分以外の人の考え方に接したり、新しい体験をすることがないので社会性が養われず、連帯感も味わえない。
ある専門学校の先生は、入学してきた学生はさまざまな壁にぶつかるが、その一つは“人間関係” であると言い、その理由は、社会経験の少なさにあると言っておられるが私も同感である。
学校行事は、年間を通しバランスを考え計画されており、人としての成長に大きな役割を果たしていると考えている。

(4)厳しく鍛え親身になって教える

人間は弱い存在であり、良くなるも悪くなるもその人の努力次第であると言われるが、その努力を引き出すには、ある程度の厳しさが必要である。ただし、この場合の厳しさは、相手の立場に立っての厳しさであり、肉親のような深い心遣いで親身になって教えることが大切である。

(5)形成的評価の大切さ

学習活動に関する評価(evaluation)には、つぎの3つがある:
(イ)診断的評価(口)形成的評価(ハ)総括的評価
(イ)は、これからの学習内容につき、どの程度の予備知識や理解があるかを知るための事前の評価で、学習者のレディネスを知るものである。
(口)は、学習の途上で行われ、誤りの原因を早期に発見し、その後の指導の参考にする評価で、フィードバックサイクルの短いもの。
(ハ)は、指導終了後に行われ、成績認定の為の評価である。

(注)evaluation は、教育に関する評価で使われ、assessment は看護の場合など、患者の血圧や体温の測定の時に使われる。

一般に、評価というと(ハ)の成績をつけるための評価(いわゆるテスト)を指しているようであるが、(口)の、指導の途中の評価は最も大切なものと考えている。
なぜなれば、評価で最も大切な点は評価しっぱなしでなく、その結果をフィードバックして次の学習や指導に役立てることにあると考えるから。

(6)繰り返すことで、知識の確実な定着をはかる

学習の仕方は人それぞれであり、自分に合ったやり方で行うのが良いと思う。私の経験では、同じことを何回も繰り返し学習することにより、あやふやな知識が確実なものとなり、定着するようである。特に、短時間のうちに解答しなければならないような場合には、この方法が効果的である。
最近では、日常生活に横文字がどんどん使われているが、こういうカタカナ文字も繰り返し目にすることにより、その意味が理解される。とにかく、わからない言葉に出くわしたなら、その都度調べて正しく覚えるより仕方がないであろう。
諺にある“ slow and steady wins the race”(急がば回れ)の精神を勧めたい。

2022.04